吾輩は今でこそ立派な黒い焼杉板という外套をまとっているが、最初は骨だけだった。吾輩の骨格を造るために、二〇二四年三月にご主人様とフランス人パートナーがシーエッチ及び梼原の森林組合主催の伐採ツアーとして、吾輩の親である四国の梼原の山に挨拶をしに来たのである。その際、吾輩の最初の骨が選ばれ、吾輩の親である山々に感謝の言葉がささげられた。山から持ってきたその骨は今でも吾輩の上半身に使われているのがわかるはずだが、吾輩の全身ができるには結局二百本ぐらいの骨が必要ということであった。吾輩の工事着工前には地鎮祭が行われ、吾輩の居心地がよくなるべく、土地に鍬が入れられ、お祷りが捧げられた。二〇二四年八月末から九月の台風の季節にかけては吾輩を風から守るということで、徳毛現場監督や野月棟梁が吾輩の骨組みの外にシートを被せてくれた。上棟式では吾輩の体の四隅と中心にお米やらお酒やらをかけてもらい、いい気分になった。